地域防災力の向上・防災リーダーの育成・防災安心まちづくり


by aichibousaiikusei

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根尾谷断層・亜炭鉱採掘現場見学会                   藤井芳宏
平成23年9月24日(土)名古屋駅集合 参加43名
好天に恵まれ名古屋駅を8:15am出発しました。冒頭に早川会長から「防災を学ぶ者としてまず足元の地べたを知らにゃアカンよ!」と挨拶がありました。066.gif
そこでバスの中では、早川会長・竹山研修部長が活動しておられるあいぼう会から、地質学の専門家小松幹夫氏に同行講師をお願いし、地質学・地学を学びながら、地球の歴史45億年、東海地域は日本列島の中でも、最も時代の古い地層から新しい地層が広がる。中部地方地域の地質構造は南北には糸魚川静岡構造線で二つに分かれ東西には中央構造線で古い地層と新しい地層にわかれている。
東海三県の地質は極めて複雑な地質に分布、濃尾平野は木曽三川により作られた広大な濃尾平野を取り囲み段丘堆積物による地層が分布している。これは大きな海面変動が繰り返されたためといわれており、縄文時代最大海進時には、現在より海面が3m高かったと考えられている。059.gif
伊勢湾の海面変化は現在を0mとして約1万5千年前の氷河期は0mに近く13万年前はかなり高くなって稲沢市まで海だった。
名古屋周辺の地盤構造は基本的には段丘地形(河川・湖・海などに接する階段状の地形もとの氾濫原や浅海底であった平坦な部分と、その全面に河川や海水の浸食によって形成された急斜面とから成る)。

熱田台地が大曽根面で二つに区切られている、かって庄内川が栄から今池方面に低くなっているあたりを流れていた、熱田台地より西側は、庄内川による新しく堆積した軟弱な地層(沖積層)となる。庄内川が何万年前は名古屋の中心よりやや東を流れていた、また木曽三川も今の場所より東側にあったとか、興味深い話がありました。
地質の学習をしながら、今から120年前の(1891年)10月28日6時38分に起きた濃尾地震の震源地、岐阜県本巣市根尾の根尾谷断層館に到着しました。
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規模は当時のデータから後にM8.0(8.4とする説もある)と推定される「根尾谷断層帯」が活動した典型的な直下型地震であり、これは日本の陸域で発生した地震としては観測史上最大である。全国で14万戸を超える建物が倒壊し、7千人を超える人々が亡くなった。それにより地震断層、延長距離は80kmと大規模なもので、震源地の根尾水鳥地区(地震断層観察館)では上下に6m長さ1000mにもなる断層崖が隆起した。
 その前には地震体験館の3Dシアターでは濃尾地震の体験・地震発生(縦揺れの起振装置)と共に倒壊する家屋が目の前に飛んでくる・・・・迫力満点で恐怖でした。005.gif
この濃尾地震発生3日前の10月25日21時14分には揖斐川下流域を震源とする、前震と思われる地震(M6.0)が発生している
過去には、745年(天平17年4月27日)に美濃を中心として発生した大地震が,濃尾地震と類似した地震とする見方もある。また1586年1月18日(天正13年11月29日)に発生した天正大地震も、この地域を襲っており、広大な範囲に被害をもたらしているが、震源域は不明
このあとバスの中で昼食をとりながら岐阜県御嵩町へ移動です、食事後の移動時間は御嵩町の亜炭鉱廃坑後の上にある住宅で陥没事故が起きた時の映像をビデオを鑑賞しここでは初めに御嵩町の資料館で町の歴史を学ぶ・御嵩町は中山道の宿場町であった。
亜炭とは正式には褐炭と呼ばれ、炭化程度が石炭ほど進行していない炭化物を言う。
亜炭鉱は御嵩町だけではなく尾張美濃地域にある(美濃炭田、尾張炭田、三重炭田他)
太平洋戦争の戦前、戦中、戦後にかけて盛んに採掘が行われて来た。
続いて亜炭鉱の廃坑陥没修復工事現場の見学、ここで御嵩町役場の職員さんから説明、工事を請け負っている飛島建設さんの所長さんから説明(亜炭鉱の廃坑を埋める工法・空洞充填工法・脱水ケーキ+固化材+水⇒充填材を注入する)を聞いて現場に向かう。
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そこにはテレビ・新聞で観た陥没によって傾たり、歪んだ住宅がありました、現実に目の当たりにする無人の被災住宅!「ひどい!これは人災だよ!!」とメンバーは叫んでいました。ここの陥没した住宅の人達は避難生活をされているとのことです、早く修復が出来てこの家で日常生活が出来ますように祈っています。007.gif
次は廃坑後の坑道に入っての見学観察、誓約書にサインをして緊張しました、万が一廃坑にいる時に天井が崩れて来たらどうしようとか・地震が起きて崩れてきたらどうしよう!頭をかすめました。
廃坑の中はきちんと柱が残されていました「残柱方式」とよばれるもので、坑道の安定を保つために亜炭層のある部分を残柱として残して採掘を行ったそうです。
中に入るとひんやりして、なんだか太平洋戦争前後にタイムスリップしたように感じました。照明は小灯(高さ4cm種油使用)掘り方は高さ15cmのこしかけに座り亜炭下部を透かし掘りし、矢を使ってブロック化して搬出した。
何事もなく無事坑道見学が出来ました。
御嵩町では年間数件の亜炭鉱廃抗による浅所陥没がある、昨年の10月20日には大規模な陥没が発生した。
今日見学した陥没発生場所の地下空洞部分の充填工事が終了し、この後家屋復旧となるそうです。まだまだ亜炭鉱廃抗後はあちらこちらにあり、ほっとけばいずれは崩れるので処理して行かねばならない事が今後の課題と役場の職員さんが云っていました。
最後の見学場所 可児市土田 昨年7月15日洪水被害
死者1名 行方不明2名 トラック乗用車49台が流された現場です・可児川が二つに分かれ中州になっていて(鬼が島)合流する所で氾濫したとの説明。057.gif
行方不明者が出た場所はアンダーパスになっていてかなり低くなっておりそこで濁流に飲み込まれた・・・日頃から大雨が降ったら危険だな!という場所をチェックし近寄らない事だと教訓を得ました。

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今日は多くの学びがあり、有意義で充実した一日となりました今後の防災・減災活動に生かされる事と思います。
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by aichibousaiikusei | 2011-09-24 17:30 | イベント情報
愛知県立豊橋南高等学校文化祭(60回)
                          平成23年9月14日(水)濱辺 文

8月1日の高大連携高校生防災セミナーで担当になったご縁で文化祭に呼んでいただての参加です。
実は、8月1日のDIGが終わり、皆が帰宅するロビーで付き添いで参加されていた丸山先生から「生徒たちが折角学んだことをまとめて文化祭で発表したいが、これだけでは寂しいから、パネル・啓発用品を貸して貰えないか?」と尋ねられたが、濱辺の一存ではご返事が出来かねるからと早川さんを紹介してその旨を伝えて了解を得ました。その後早川さんと何回かのメールのやり取りを経て今日を迎えました。006.gif 
港区役所を7:30に出発し一路豊橋南高校へ、教室を一つ使用しての啓発と想像していたが、与えられたのは机も椅子も立派な会議室でした。051.gif
生徒さんがまとめたものは、黒い文字が並んでいるだけだったが良く調べてあり感心しました。058.gif
早速、パネルや写真を貼り啓発用品を並べて雰囲気作りをする。
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大声競争は人気で先生方も参加され、笛を貰って早速カードに記入です。
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鳥山さんの「びっくりぶるる」も今日の主役です。生徒の一人が鳥山さんの教えで上手に操作が出来るようになり助手を努めました。彼は防災セミナーの各回が終わって家に帰ると家族で今日の授業を話題に話し合いをしたと聞きました。12月26日(月)の防災セミナー発表会で会うのが楽しみです。003.gif
彼とはいろいろな話をしましたが、まぁ~るいおとなしい性格です。そういえば他の生徒さんも皆おとなしかった。
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丸山先生は参加者が少ないからと気にされていましたが、初めての試みです。他高も似たような参加者ですと申しあげたら少し安心されていました。
残念だったのは他のブースが見られなかったことかなぁ~(おしまい)059.gif
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by aichibousaiikusei | 2011-09-14 15:00 | 講座・セミナー